Coco Masuda as a Linguist

私は通常の翻訳家ではありません。在米40年、国際結婚と離婚を経験し、子育てをしてきたバイリンガルな上に、仕事を通して翻訳・通訳の技術を独学で学び続けるアーティスト、そしてビジネスウーマンです。翻訳家になる事を目指して勉強し、翻訳・通訳を専門になさっている方々には劣る面も勝る面もあると思っています。
東京の大田区に生まれ、私が幼少の頃はサウジアラビア大使の秘書、その後貿易関係のビジネスを営んでいた実業家の父親に、グローバルな人間になるべく育てられ、幼少の頃から外国人と接する機会に恵まれていました。高校を終えて東京芸大の受験に失敗した後は、自分の意思に反して米国への留学をさせられました。母は反対に日本の文化をこよなく愛する人だったので、私は書道や茶道も学びましたが、心から日本の文化を評価できるようになったのは、自分の娘をバイリンガルに育てようと決心した後からだと思います。娘との会話では、英語と日本語の切り替えをほとんど意識せずに行っています。
パーソンズ・スクール・オブ・デザインを卒業後、欧米企業がクライアントのグラフィックデザイナー、そしてイラストレーターとして活動してきましたが、専門を定めなかった為に、あらゆる業界の英文を読んで理解しなければならなかったので、多岐に渡る知識を得ることが出来ました。例えば、一週間のうちに、ファッション関係、法律関係、そして医薬関係のイラストを描く、というように。今はWEBデザインも手がけているので和英両方のIT情報には常にアンテナを張っています。
2012年に日本人経営のギャラリーのお手伝いをするようになってから、母国の人たちと関わることの楽しさを知り、業務を通じて日常的に翻訳・通訳をするようになりました。さらに、翌年に父が急死したために在日フィリピン人向けの宅配と送金の子会社を継ぎ、アートとは全く関係のないビジネスの経営を急スピードで学び、経費節約のために会社関係の書類の翻訳は全て自分でこなし、フィリピン人銀行家たちとの会議の通訳を、通訳という意識がないままに行っていたのが今の仕事の基礎となりました。
2017年にCoCollaborations, LLCを創立、翻訳・通訳はエージェンシーとして受注していますが、自分の能力に見合った仕事は自分自身でも受けています。通訳では笑顔を常に忘れず、マーケティングを意識したコンサルテーションを交えたユニークな仕事が出来るように心がけて喜ばれています。